20171104





「質より量」で生きていた時代もあるが、いまでは「量より質」になっている。

加齢を原因として精神的に量を受け入れるだけのキャパシティがなくなってきたのか、または、無駄な労力を費やさない、エコな生き方なのか。単にめんどくさいのか。

間違いなく、その全部だ。

諦めるとか手放すとか受け入れるとか、人生を楽に生きるメソッドは随分前から目にも耳にもとめてきたが、「こういうことか」とわかったのは最近のこと。
それもまだわかったつもりなのかもしれないが、以前よりは自分のモノにできているような気がする。

これなんだよなぁ。
年齢がいかないと理解できない事があるんだよ。
先達がどんなに若人に伝えたくても伝わらないジレンマ。
たまたま自分がそれなりの年齢になった事で「いいこと」に気付いからといって先生面しても、にわか仕込みには説得力もない。
かつての自分がそうであったように、信じて見守って応援してやれば、必ず自ら気付く時が来るのだろう。

大丈夫大丈夫。

ちゃんと目を離さなければ、いつかはきっと花が咲く。

我々もそうではないかと、自分に言い聞かせれば、世の未来もまだまだ捨てたもんじゃないかもしれない。
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20171103




みんな、それぞれ大変ですよ。それを表に出すか出さないかは別として。

大人も子供も赤ちゃんも、学生も、会社員も、経営者も、自営業者も、パートさんも、主婦も、主夫も、オーナーも、アルバイトも、ホームレスもその他の人たちも。

毎日面白おかしく笑って、のほほんと平和に暮らしてる人なんか、この世にはいないね。

ありとあらゆる立場の人と会ってきた結果、断言できること。

この世に一生懸命頑張っていない人はいない。
このことが理解出来てから、本当に人に優しくなれたかもしれない。

それまでは、努力の程度やストイックさに自分なりの基準を持っていた。

ところが、実際にはそんなものはなく、プロボクサーの減量も、お姉さんのダイエットも、ライザップのプログラムもやってる人が違うだけで、同じ「努力」なんだなとわかった。
つまり、本人が「頑張っています」というなら、それは頑張っているということ。
みんな頑張ってる。
みんなそれなりに大変な中で頑張ってる。
例えそれが見えなかったとしても、人はみんな大変な中で頑張ってる。
「目には見えないけど、この人もきっと大変な中で一生懸命頑張って、努力しているんだろうな」
と思いやることが出来れば、自分勝手な人間にならなくてすむ。

みんなそれなりに大変で

みんな頑張って生きている

本当に毎日楽しく笑って、なんの不安も心配もなく、誰もが羨むような暮らしをしているような人がいると思う?

そんな人は、世界中探しても、たったのひとりもいないでしょうね。
| - | 08:56 | comments(0) | - | - | - |

20171102






いつの頃からか、「死ぬ」ことが恐怖ではなくなった。

子供の頃を思い返してみれば、毎日のように死の恐怖を感じていた。
いま思えばそれはきっと本能的なものだったのかもしれない。
理性や知性が未熟な分、本能に支配されていたのかも。「生きたい」という全ての生命が持つと言われる共通の生存本能。

いったい何がそれを克服させたのはかわからないが、いつの間にか「死ぬ」ということを恐怖なく受け入れられるようになっている。

年齢的なものもあるのかもしれない。

色々抱え込んでいた時期なんかは、むしろ死にたいと思っていたこともあったが、色々満たされている今は、ここで死んだら勝ち逃げだな。などと思う。

私の周りの皆ではないが、同じような年代の人の多くが、同じように「死ぬのは怖くない」という。
その人たちの共通点を考えてみたら、私を含め皆、わりと好きに自由にアウトローに生きている(笑)。
生き方の選択は自由だから、善悪は問うまい。
やりたいことをやって、やりたくないことをやらず(多少はやりますけど)、自由奔放に生きている。つまり、人生に満足しているのではないかな。少なくとも、私は満足している。
勝ち逃げ組とでも言うか。

自由に生きればすべての責任は自分にかかる。故に、常に諦めというか、覚悟のようなものが頭のどこかにある。

「立つ鳥跡を濁さず」というが、私は「立つ鳥跡を濁す」生き方をしたい。

「終活」よりも「ギリギリまでもがき、満喫する」人生を選びたい。

この世に生まれた時から、誰もが常に死と隣り合わせの人生である。
ところが、意外と普通に「明日がある」と思っている。
スケジュールや計画をたてるのは、未来があると仮定してのこと。
明日は死んでるかもしれないと仮定していては、今の日本では生きられない。
それが「死」を忘れさせているのかもしれない。

そうか

子供の頃に思い描いた未来は、明日や明後日のことではなく、現実味のない遠い未来のこと。
明日や明後日の予定は学校に行くことしかないから考えもしなかった。
かといって、生存するため、命のためになにかしていたかと言えばそうでもない。
自動的に生きていられて、存在出来るのが当たり前だった。

だから死ぬのが怖かったのか。
生きるために何もしてなかったから。

対象のために行動しないが故に不安が生じる

という真理はここでも健在だな。

たしかに今は、生きるために必要なこと、努力すべきことに尽力している。

または、それに疲れているのかもしれない。
| - | 08:00 | comments(0) | - | - | - |

20171101






河崎です。

今日も徒然に。

「人生は経験からしか学べない」
と、学んできたものの、それでも判断材料は必要だろうと、先達の残してくれた叡智を貪ってきた。

「人生において様々に発生する出来事とそれによって発生する心の暴走に対する対処法」といったところだ。

そして、頭の中にたくさんの「資料」を詰め込んで日々を暮らし、起きる様々をその「資料」と照らし合わせ、ひとつひとつを検証し、「心地よい自分」「自分が好きになれる自分」を作ってきた。

そこで自分が経験した過程や、検証した関係要素を伝えたり教えたりすることで他人様の人生と関わりを持ち、わたしの知識と経験は、時には転ばぬ先の杖となったが、やはりご当人の経験に裏打ちされていない知識は薄ペラで、また同じつまづきをしてしまったり、同じ過ちを犯してしまったりするものだ。

それでいいのだ。それが当たり前なのだと、今は思う。それはそれで仕方の無いことなのだと。

出来ることなら苦労はさせたくないと、つまづく前に石を拾ってあげたいと思うのだが、それでもやはり人はつまづき、転ぶものだ。
しかも、それを何度が繰り返す。その果てにしか見出すことの出来ない学びもある。
それはやはり人それぞれ違うから、それを傍から見ている他人の立場で何だかんだと言えるものでもない。
ただ、見守り続けるしかない。

自分が持っている知っている方法が、絶対成功法則では無い。自分だけ、もしくはそのパターンにおいてのみの成功法則かもしれない。

他人には他人の成功法則がある。
それは当人にしか見いだせないものだったりするのだから、無責任に自分の成功法則を押し付けても、どうなったところで責任も取れない。
ただ見守ることしか出来ないが、それで良いのだろう。
私の経験上、考え続ける人は必ず自分で乗り越える。だから、それを信じて見守ることが出来る。
当然ながら、自分で考えない。すぐに手放す。他人に何とかしてもらおうと思っている。そんな人は論外で、何も成し得ることはないだろうが、それはそれでまたその人の人生であるから、良いとか悪いとかいうものでもない。
それでも良いのだろう。

やりたい人はやればいい

頑張りたい人は勝手に頑張ればいい

やりたくなければやらなくていいし

頑張りたくなければ頑張らなくてもいい

どれも尊い人生の選択だろう。

他人と比較して自分が正しいという考えは、金輪際一切手放した方がよいのだろう。

誰もが正しい

誰もが間違っていない

誰も悪くない

どなたの人生も尊重すべき選択なのだろう。

最悪、法を犯さなければ誰にも何もいう権利はないのでしょうし、言われる筋合いもない。

どのような経験からどのように学び、その後に生かすことが出来るのか。

それは世界中でたった一人だけの人生にしか起こらない出来事だろう。

正解がないのが人生の面白いところであり、人が陥りやすい罠でもある。

| - | 07:05 | comments(0) | - | - | - |

20171031



河崎です。

ここ最近の心境を書き留めておこうと思いながらも、なかなかうまくまとまらず。
とりあえずつらつらと書き連ねてみようと思った。


わりとストイックに自分を矯正してきた人生だったけど、いつからか「無理すること」をやめようと思い、自分の素直な感情をみつめ、極力ストレスのない選択をするようにしている。
その際に気づいたことはやはり「諦めが肝心」ということ。
自分が自然体になればなるほど、野に咲く草花のように、「好かれよう」とか「認められたい」という対人的な欲はなくなった。
背伸びすることもなく、虚勢をはることもなく、「これだけのもんですわ」という所に落ち着いていると、好かれるも嫌われるもあとは相手さん次第。
好いてくれればありがとう。
そうじゃなければそれはそれ。
自分は自分として、自由に楽しく生きていきたい。
もちろん、他人の人生も邪魔しません。
他人の人生を自分の曲線に沿うように強いたりはしません。
あなたも自由
わたしも自由
それが気持ちいい。

誰のために生きる訳でもありませんが、わたしが楽しく幸せに、精一杯生きようと選択する道が、どなたかのお役にたったり、寄り添うことになるのなら、ありがたい事です。

幸いなことに、今日も満たされているし、幸せです。

しかし、いつどこでのたれ死ぬかもわからない。

それもまた、人生である。

| - | 07:21 | comments(0) | - | - | - |

20171018




河崎です。

随分と幼い頃
幼稚園の頃かな
家の前の川を挟んだ向かい側に小さな教会があって
日曜の朝はそこに行って
賛美歌を歌ったり
お菓子をもらったりしていました。
いつも笑顔で優しいシスターさんがおられたように記憶しています。

その頃の思い出もあり、僕にとって教会という場所は
『ちょっと遠縁の優しい親戚のおばさんち』
という感じです。

もちろん、神聖な場所であり、心が洗われるような気持ちにもなりますが、やっぱりどこかほっこりとするんです。



おもしろおじさんも登場(笑)

ヽ(´ー`)ノ
| - | 23:52 | comments(0) | - | - | - |

20171015




河崎です。

嬉しいこと
楽しいこと
ありがたいこと
これらを見つけ出す能力を身に着けないと
とっても孤独で寂しい人生になります。

嬉しいことも
楽しいことも
ありがたいことも
自分が作り出すんです。

| - | 21:26 | comments(0) | - | - | - |

20171014




しまねっこ棒




旨辛赤てん味



こんなの初めて見た。

しかも

うまい☆ミ

| - | 23:33 | comments(0) | - | - | - |

20171003




こういうことを教師が咎めることが許されない国なら

この国の未来は無い。

| - | 19:27 | comments(0) | - | - | - |

20170925



河崎です

今日も秋晴れ快晴



そして、ここでの朝食はいつもこれ。


先日、

「河崎先生、痩せたら絶対かっこいい説」

が発生しまして



じゃ、実際のところどうなのかということで、やってみることになりました。

こんなの食べといてなんですけど。

まぁ、今日はこのあとカロリーを消費する予定なのでいいんです。

いろいろ考えながらバランスよく、まずは1ヶ月/5キロを目指します。

このところ、そこらへんをアンロックだったので、ちょうどいい機会。

たのしみまーす。
| - | 07:59 | comments(0) | - | - | - |

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